2021年1月19日公開
今回のコラムでは、西武ライオンズ時代の歴代ドラフト1位について振り返ってみたい。実は黄金時代の中盤から終盤にかけては、ドラフト1位の選手が伸び悩むケースが多かった。だが2010年代以降のドラフト1位入団選手を見ていくと、大半の選手が1軍で活躍する姿を見せてくれている。そして今回のコラムでは、活躍できなかった選手に特にフォーカスを当ててみたいと思う。
西武ライオンズとしての初年度シーズンは1979年からになるわけだが、その年のドラフト1位選手は前年1978年秋のドラフト会議で指名された森繁和投手だった。森投手こそが西武としての最初のドラ1選手ということになる。ちなみにまだ平和台球場を本拠地としていた前年クラウンライターライオンズ時代最後のドラフト1位指名は、江川卓投手だった。
森繁和投手以降の70〜80年代のドラフト1位指名選手を順に見ていくと、1979年:鴻野淳基内野手、1980年:石毛宏典内野手、1981年:伊東勤捕手、1982年:野口裕美投手、1983年:渡辺久信投手、1984年:大久保博元捕手、1985年:清原和博内野手、1986年:森山良二投手、1987年:鈴木健内野手、1988年:渡辺智男投手、1989年:潮崎哲也投手、という順になっている。
黄金時代初期の特徴としては、半数が野手の指名となっている点だ。これは近年のライオンズとはまったく異なる傾向だ。そしてこの中で目立った活躍ができなかったのは僅か1年で背番号7を石毛選手に譲り、その数年後にジャイアンツにトレードに出された鴻野選手、3球団から1指名を受けたがプロ通算5試合の登板で0勝に終わった左腕・野口投手、そしてやはりジャイアンツにトレードに出されてしまった大久保捕手あたりになるだろうか。
渡辺智男投手と森山良二投手に関しては輝いた期間は短かったが、渡辺投手は150kmを越すをストレートとクレバーな配球でルーキーイヤーから3年連続二桁勝利をマークし、3年目には最優秀防御率も獲得している。森山投手は2年目に10勝9敗と活躍し新人王と日本シリーズでの優勝選手賞に輝いている。黄金時代の他の選手たちと比べるとやや影は薄いとも言えるが、しかしふたりとも受賞歴がある。
石毛宏典選手、伊東勤捕手、渡辺久信投手、清原和博選手、鈴木健選手、潮崎哲也投手に関しては特筆する必要がないほどチームの勝利に貢献してきた選手たちだ。この中で鈴木健選手はスーパースターと呼べるほどの活躍は見せられなかったが、しかし繋ぎの4番打者として97〜98年のパ・リーグ連覇に大きく貢献している。
続いて90年代を見ていくと、1990年:長見賢司投手、1991年:竹下潤投手、1992年:杉山賢人投手、1993年:石井貴投手、1994年:富岡久貴投手、1995年:高木大成捕手、1996年:玉野宏昌内野手、1997年:安藤正則投手、1998年:松坂大輔投手、1999年:高山久内野手、という順になっている。
90年代の特徴は、10人中7人が投手となっている点だ。80年代と比べると投手を1位指名する割合が30%アップしている。だが90年代のドラ1投手7人の中で勝利に貢献できたのは杉山投手、石井投手、松坂投手の3人で、確率は43%という低さだった。この確率の低さが2000年代の低迷を生んでしまったとも言えるだろう。
ちなみに玉野選手は清原和博選手の後継者として期待され、背番号3を与えられたがプレッシャーに打ち勝てなかったのか、結局は鳴かず飛ばずとなってしまい、僅か3年で背番号3を剥奪されてしまった。そして2004年オフに大友進選手と共にドラゴンズにトレードにされてしまうが、ドラゴンズでは1試合も出場することなくユニフォームを脱ぐ形となってしまう。
長見投手に関しては入団時には背番号15を与えられ、大きな期待を寄せられたが、しかし投手としては目が出ず外野手に転向し、その後デニー友利投手とのトレードでベイスターズに移籍し、そこで6試合にだけ1軍出場をしてユニフォームを脱いでしまった。ちなみにベイスターズの2軍で燻っていたデニー投手に関しては、当時の東尾修監督の起用法が見事にはまり、1軍に欠かせないセットアッパーとなり、松坂大輔投手の良き兄貴分として名実共にライオンズの主力投手となっていった。
富岡投手は1995〜2005年の間で、延べ6球団を渡り歩いた苦労人だ。西武〜広島〜西武〜横浜〜西武〜楽天の順番だ。貴重なサウスポーとして各球団で期待されたが、しかし制球難を克服することができず、1軍ではほぼ実績を残すことができなかった。キャリアハイは2003年、横浜で38試合に登板した年で、その他のシーズンではほぼ期待には応えられなかった。
高山久選手に関しては、落合博満選手のような神主打法に変えた2シーズン目となる2010年に、左投手に好成績を残したことでレギュラーを掴みかけたが、しかし116試合で.291を打った2010年以外はほぼ活躍することはできず、トレードでタイガースに放出されてしまった。そしてタイガースでの2シーズンでも1軍出場は僅か9試合に留まり、戦力外通告を受けてしまう。
続いて2000年代を見ていくと、2000年:大沼幸二投手、2001年:細川亨捕手、2002年:後藤武敏内野手、2003年:山崎敏投手、2004年:涌井秀章投手、2005年:松永浩典投手・高校生1位:炭谷銀仁朗捕手、2006年:岸孝之投手・高校生1位:木村文和投手、2007年:平野将光投手、2008年:中崎雄太投手、2009年:菊池雄星投手、という順になっている。
大沼投手は制球難と肩痛に悩まされ、今ひとつ殻を破ることができなかった。後藤武敏選手は怪我で開幕に間に合わなかったアレックス・カブレラ選手の代役として、ルーキーイヤーにいきなり開幕4番という重責を担ったが、しかし腰痛持ちということが影響し、西武・横浜時代共にレギュラーとして活躍することはできなかった。ちなみに後藤選手は横浜高校時代の松坂大輔投手のチームメイトだ。
山崎投手と松永投手は貴重なサウスポーとして期待された投手だったが、1軍で活躍することはできなかった。ちなみに松永投手は、稲尾和久投手の背番号として24番が2012年に永久欠番になる前、ライオンズで24番を背負った最後の日本人選手となった。24番最後の選手としては2011年のマルハーン選手が最後となる。
平野将光投手は、入団時に寮にダーツマシンを入れて欲しいという要望を出したとも伝えら得る、独特な感性の持ち主だった。真実かどうかは分からないが、平野投手は社会人時代、ダーツによって制球力を磨いたらしい。地元埼玉出身でルックスもよく、将来のスター候補だったわけだが、しかしストレート勝負にこだわりすぎる面が仇となり、プロ通算を6勝で終えてしまった。
中崎雄太投手は、言わずと知れた広島カープの元守護神・中崎翔太投手の兄だ。中崎投手は成績が伴わなかったことから、2016年に清川栄治コーチによって、大きくクロスステップしていく超変速サイドハンドスローに転向させられるわけだが、しかしフォームを崩すばかりでプロ通算は15試合の出場のみと、まったく結果を残すことはできなかった。
木村文和投手に関しては、剛腕投手として期待されたが右肘を疲労骨折してしまい、2012年の後半戦以降は外野手にコンバートしている。現在は木村文紀という登録名で右翼手争いに加わっている。
2010年代は、2010年:大石達也投手、2011年:十亀剣投手、2012年:増田達至投手、2013年:森友哉捕手、2014年:髙橋光成投手、2015年:多和田真三郎投手、2016年:今井達也投手、2017年:齊藤大将投手、2018年:松本航投手、2019年:宮川哲投手、という順番となり、森捕手以外はすべて徹底した投手指名となっている。
2010年代に入ると、ドラフト1位が期待通りの活躍を見せてくれることが非常に多くなってきた。この10人の中で未だ1軍で目立った活躍ができていないのは齊藤投手くらいだろう。齊藤投手は背番号19を与えられ、オーストラリアのウィンターリーグにも派遣されるほど期待されたサウスポーなのだが、1軍ではアウトカウントを増やすことができず、2020年には背番号も57に変更させられてしまった。
2010年代は齊藤投手以外のドラフト1位たちは軒並み1軍で結果を残している。これはライオンズのスカウトマンたちのスカウティング能力の高さを証明したとも言える。一時期はドラフト1位選手が大成する確率が非常に低かったライオンズだが、ここ10年はドラフト戦略が本当に上手くいっている。このドラフト戦略の成功が2018〜2019年のリーグ二連覇を生み、辻発彦監督の4シーズンすべてでAクラス入りを果たす結果に繋がっている。
ライオンズはFA補強することはほとんどない。ライオンズが過去FAにより選手を獲得したのは中嶋聡捕手、石井一久投手、木村昇吾選手の僅かに3人だけだ。だが実際には2人だと言えるだろう。木村選手はFA宣言をするもどこの球団も獲得の意思を示さず、入団テストを経てライオンズ入りしたという経緯を持つ。ライオンズに在籍した2年間では、2年連続で戦力外通告を受けている。最初は怪我による育成契約への切り替えのためで、二度目はまさに純粋な戦力外通告となり、今はクリケットの選手として頑張っているようだ。
このようにFA補強をすることがほぼないライオンズにとって、ドラフト戦略はまさにチーム強化の生命線となっている。ドラフト1位戦略に失敗が続いた数年後にはチームが停滞するようになり、ドラフト1位戦略で成功が続いてくると優勝争いに加わることが多くなってくる。一部他球団のように、FAによる大型補強でチーム強化をするスタイルとは一線を画している。
そして2010年代は上述の通りドラフト1位戦略がことごとく上手くいっている。この流れを踏まえていくと、2020年代のライオンズは再び常勝球団になっていくであろうことを予測することができる。
ライオンズの攻撃力は12球団随一とも言える。あとは2010年代に徹底して獲得してきた投手たちがさらなる成長を見せてくれれば、ホークスの牙城を崩すこともできるだろう。とにかく今は、ホークスが黄金時代のライオンズのような強さを見せている。そのホークスを破らないことにはライオンズは日本一を奪回することはできない。
そのためにも髙橋光成投手、今井達也投手、松本航投手が先発三本柱としてしっかり仕事をし、その脇をニール投手や浜屋将太投手、平井克典投手らで固めていくことができれば、ブルペン陣はしっかりしているのだ、十分にホークスを上回る戦い方を見せていくことができるだろう。
そしてこのドラ1三本柱を球界のエースと呼ばれるレベルに育て上げるためにも、松坂大輔投手や内海哲也投手の経験値を余すことなく彼らに吹き込んでいってもらいたい。さらには多和田投手が病気を克服することができれば、先発投手陣の層はより一層厚くなり、ドラ1カルテットにより必ずやホークスを打ち破るチームになることができるだろう。そんな今年の秋を夢見ながら、今回はこのコラムを締めくくりたい。