2020年11月 3日公開
多和田真三郎投手が戦力外となった。と言ってもこれは解雇ではなく、一度支配下から外し、育成契約という少し気が楽な状態にして病気を克服していくための戦力外通告だった。支配下選手を育成契約に切り替える場合、球団はルールに則り一度その選手を戦力外としなければならない。そして他球団が獲得をしなかった場合、当該選手と改めて育成契約を結べるようになる。今回の多和田投手の戦力外はそのためのものだった。
ライオンズファンなら多くの方がご存知の通り、多和田投手は自律神経失調症と闘っている。これは厄介な病気だ。実は筆者は以前、自律神経失調症、実際には統合失調症と診断されていたスタッフと長年一緒に仕事をした経験がある。この病気の何が厄介かと言うと、他人からすると病気には見えない点だ。恐らく多和田投手も最初は病気だとは思われなかったはずだ。
多和田投手の場合、まず遅刻をするようになったり、ミーティング中にスマホをいじるようになったと耳にしたことがある。人によっては遅刻など珍しくないし、教育が行き届いていない選手ならミーティング中にスマホをいじることだってあるだろう。もしかしたら多和田投手の周囲としては最初は、「多和田、お前なにやってんだよ!」という印象だったのではないだろうか。
今からちょうど一週間前の10月28日、多和田投手はイースタンリーグDeNA戦に先発し、7回途中まで2失点(自責0)という好投を披露していた。そのためそろそろ調子も良くなってきたのかなと思っていたのだが、どうやら病状は一進一退であったようだ。
筆者が以前一緒に仕事をしていたスタッフもやはり病状は一進一退で、調子が良い日は誰よりも前向きに良い仕事をすることができるのだが、一転翌日になると、まるで別人のように下向きな人間になってしまうことがあった。このスタッフの場合は自律神経失調症でもあったのだが、当時の診断としては統合失調症というもので、数十年前までは精神分裂症(差別的な呼称のため、統合失調症と呼ばれるようになった)と呼ばれていたものだ。
多和田投手の自律神経失調症がどの程度の症状なのかは筆者にはわからない。しかし最多勝を獲得した2018年の翌年、2019年から症状が出始め治療を開始し、2020年11月の時点でまだ一進一退ということは、決して軽度のものではないと思う。恐らくは薬を服用しながらの生活なのではないだろうか。
筆者は自律神経失調症を患う人間と一緒に働き、同僚として数年間サポートした経験があるため、多少なりともその症状の辛さは知っている。例えば責任を与えるとプレッシャーに打ち負けて仕事を放棄してしまうことがあるし、逆に責任を軽くしてあげると、言い方は悪いが拗ねるような態度を取ってしまうこともある。と言うと、誰しもそうなることはあるわけだが、自律神経失調症を抱えている場合、その起伏が周囲の想像以上に激しいのだ。
例えばこれが投手の場合、味方がエラーをした時に「ドンマイ」という気持ちにどうしてもなれないこともある。「お前のせいで点を取られた」という感情に支配されてしまい、チームメイトとの信頼関係を壊してしまう危険性もあるのだ。ただ、多和田投手の場合は渡辺久信GMを中心に、ライオンズ全体でサポートしてくれているため、周囲の選手も多少なりとも多和田投手の病状については理解してくれているはずだ。
多和田投手の戦力外通告と育成契約への移行というニュースを知り、まず最初に筆者が思ったのが、多和田投手にまだ野球をやりたいという意欲があって本当に良かったということだった。自律神経失調症を患ってしまうと、すべてのことに対して意欲を失ってしまうことがある。だが多和田投手はそうではなく、野球に対する意欲をしっかりと持ち続けてくれている。これがファンにとっては今、何よりの良いニュースなのではないだろうか。
支配下契約から育成契約に切り替わるということは、一度背番号18のユニフォームも脱がなければならないということになる。しかしだからと言って、当然だがここで18番が松坂大輔投手のもとに戻るということはない。松坂投手自身そんなことは決して望まないはずだ。
背番号18番のユニフォームは今は他の誰でもなく、多和田真三郎投手のものだ。いま我々ファンにできることはただひとつ、静かに多和田投手のカムバックを待つことだ。筆者の経験上、自律神経失調症を患っている人に対して「頑張れ」という言葉は使うべきではないと感じている。自律神経失調症とは、人によっては頑張り過ぎによって引き起こされる症状だからだ。
だから今はただ、静かに多和田投手のカムバックを1年でも、2年でも、3年でも待ち続けようではないか。