2022年10月26日公開
やはりこのニュースについて書かないわけにはいかないだろう。今季は台湾、昨季までは楽天イーグルス、その前はメジャー。彼がライオンズのユニフォームを纏ったのは2017年が最後となるわけだが、やはり書かずにはいられない。昨日、牧田和久投手が自身のインスタグラムで正式に現役の引退を発表した。
まだまだNPBで投げられる状態にあると筆者は感じていたが、やはり年齢的なこともあるのだろう。来月38歳になる牧田投手を獲得するNPB球団は現れなかった。本当に素晴らしい投手だっただけにもう少し長くプレーして欲しかったのだが、年齢による限界には抗えなかったのかもしれない。
イーグルス2年目の昨季は、ファームで調子が良くてもなかなか1軍に上がることができなかった。石井一久監督による若手の底上げの最中だったこともあり、ベテランに与えられるチャンスはまさに最小限でしかなかった。NPBでは、2021年9月4日のライオンズ戦での登板が最後となったわけだが、ライオンズ戦で締めくくれたのはある意味では良かったのかもしれない。
だがそのライオンズ戦での登板では栗山巧選手に2000安打目を献上するなど、1イニング持たずにノックアウトされてしまった。これで心証が悪くなってしまったのか、翌日に登録を抹消されるとそのまま戦力外通告となってしまった。
あまりにも代償が大きすぎた牧田和久投手のイーグルスでの2年間
2019年オフ、牧田投手は2年間パドレスでプレーしたのち日本球界への復帰を表明した。そこでは西武、楽天、阪神による争奪戦となったわけだが、牧田投手が復帰先として選んだのは楽天だった。だがもしここで西武復帰という道を選んでいたなら、2021年に早々に戦力外通告を受けることはなかったのではないだろうか。
牧田投手自身、ライオンズよりもイーグルスに大きな魅力があるからイーグルスを選んだのではなかったと思う。本音を言えばライオンズに戻りたかったのではないだろうか。ではなぜ牧田投手はライオンズではなくイーグルスを選んだのか?!
それは與座海人投手の存在だったと思う。與座投手と牧田投手は、2017年のドラフトで與座投手がライオンズ入りし、同じタイミングで牧田投手はメジャー移籍を果たしている。そのため同じユニフォームを着て戦ったという経験はない。しかしその後は同じサブマリン同士という縁で合同自主トレをする間柄となった。
牧田投手は、もし自分がライオンズに復帰すれば與座海人投手の登板期間を奪ってしまうと考えたのではないだろうか。なぜなら現実的に考えて、1軍にふたりのアンダーハンドスロー投手を置くわけにはいかないからだ。そのように考えたのだとすれば、牧田投手がライオンズではなくイーグルスを選ばざるを得なかったのにも頷くことができる。そして男気のある牧田投手であれば、そのように考えたとしても不思議ではない。
もしライオンズに同じサブマリンの與座海人投手の存在がなければ、牧田投手はきっと2019年オフはライオンズに復帰していたはずだ。そして牧田投手の再獲得を目指した渡辺久信GMも、もし牧田投手からそのような意思を伝えられていたのだとすれば、イーグルス入りを祝福せざるを得ない。
2010年のある日、ライオンズの2軍と日本通運が試合を行うことがあった。その時日本通運の選手として登板してきたのが牧田和久投手であり、たまたまその試合を視察していたのが当時の渡辺久信1軍監督だった。渡辺監督はその試合で牧田投手に惚れ込み、ドラフトでの上位指名を球団に要望し、同年2位指名でライオンズ入りするという経緯があった。
もしこの時渡辺監督が視察をしていなければ、もしこの時渡辺監督が要望を出していなければ、牧田投手はもしかしたらプロ野球選手になれていなかったかもしれない。だからこそ引退メッセージでは渡辺久信GMや、当時の投手コーチに対し謝意を示している。そしてもちろんパドレス、楽天、中信兄弟、日本代表の関係者に対しても。
近年はチャランポランで野球しか能がないプロ野球選手も多く見かけるわけだが、しかし牧田投手はそうではない。野球から離れても、一人の人間として立派にやっていくことができるだろう。そしてそのような人間性からも、牧田投手がライオンズで指導者の道を歩む日もそう遠くはないと思う。もしかしたらライオンズアカデミーでの指導を経て、ライオンズに戻るという道筋を歩むことだってありうる。
現役時代の牧田投手は先発、リリーフ、抑えとすべてのポジションを経験してきた。この経験によりコーチになれば、巧みに投手起用を行えるコーチになっていけるはずだ。来季牧田投手がコーチとしてライオンズのユニフォームを着ることはないわけだが、しかし近い将来、きっと牧田投手は投手コーチとしてライオンズに戻ってくると思う。
そして牧田和久投手という選手は、哲学であったり美学であったり、何かそういう物をしっかりと持っているタイプの選手だった。そのため周囲からするととっつきにくい印象を与えることもある選手なのだが、しかし話してみるとしっかりとした野球観を持っている選手で、頼られれば面倒を見るという兄貴タイプの選手だった。
やはり社会人野球出身者には、このようなタイプの選手は多いのだろう。社会を経験せずにプロ野球に入ってくると選手と、社会を経験してからプロ野球に入ってくるになる選手たち。両者の間にはある程度明確な境界線が存在しているように思える。もちろんそれがすべてというわけではないのだが、例えば石井貴投手なども非常にとっつきにくいキャラクターではあったが、社会人としてしっかりとした行動を取れる尊敬できる大人だった。
石井貴投手とは筆者も何度かお話をさせていただいたことがあるのだが、最初はとても話しかけづらいオーラを放っていたため話しかけるタイミングをなかなか掴めなかったのだが、しかし話してみると筆者のような者に対しても丁寧に接してくれて、時々冗談も言うような人だった。筆者は、牧田投手に対しても石井貴コーチ同様の雰囲気を感じていた。
このような選手がコーチになった時、人間形成まで見ていけるコーチになれるケースが多い。2019年オフの争奪戦には敗れてしまったライオンズだったが、ユニフォームを脱いだ今、ライオンズには今度こそ牧田投手を他球団に奪われないで欲しいと思う。
牧田和久投手のように高い人間性を持っているのであれば、コーチ修行することも良いと思うのだが、GM補佐として渡辺久信GMの横でフロント修行をするのも良いかもしれない。一時期は大石達也投手が引退後にそのような修行をする予定もあったのだが、コロナの流行によりそのプランは消滅してしまった。
だが現在は海外に関しては、多くの国でコロナ事由による入国制限はすでに撤廃されている。マスクを日常的に着用している国もほとんどないという状況だ。このような状況にあるのならば、メジャー経験のある牧田投手をライオンズの提携先であるメッツに派遣してフロント修行をさせても良いのではないだろうか。
渡辺久信GMと牧田和久投手の師弟関係を鑑みれば、牧田投手を渡辺久信GMの後継者として育成していくのも良いアイディアであるとは言えないだろうか。社会人出身ということもあり、牧田投手は社会人としての礼儀作法はすでに弁えている。しかも2年間のアメリカ経験もあるのだから、メッツに派遣したとしても上手くやっていけるだろう。
ライオンズは現場だけではなく、このようにフロント側でも人材の育成をしていかなければならない。一部の球団は大金を叩いて大物をGMに据えるような起用法もできるが、西武球団にはそれはできない。だとすれば将来的に渡辺久信 GMが退かなければならない状況になった時(例えば体調不良などで)、フロントワークを滞りなく進められるようにするためにも、牧田和久投手をGM補佐として育成していくことはライオンズにとっては大きなメリットになると思う。
まだ渡辺久信GMが誕生していなかった頃、つまり渡辺久信監督が勇退して伊原春樹監督が再登板した時のことなのだが、西武球団は伊原政権を組閣していく上で有能なコーチを集めることがまったくできなかった(伊原監督が53試合で更迭された際も同様)。ようするに伊原監督の下で自ら進んでコーチをしたいという有能な人材がいなかったばかりが、監督候補も他に挙げられなかったから、最終的に伊原春樹監督を再登板させることしかできなかったという事情があった。
渡辺久信監督勇退時にそのような事態になってしまったのも、やはりフロントに能力がなかったためだった。もしフロントにしっかりとした能力があったのだとすれば、渡辺久信監督が勇退する一年前から新政権の組閣にオフレコの上で着手していたはずだ。だが当時のフロント(前田康介球団本部長や鈴木葉留彦球団本部長ら)にはそのような能力がまったくなく、FA選手の慰留にはことごとく失敗し、組閣はいつも場当たり的で、ようやく決まった伊原春樹監督の再登板にしても、この監督の言葉が原因でエース涌井秀章投手がFA移籍する事態にもなってしまった。
渡辺久信GMも、牧田和久投手の人間性は高く評価しているはずだ。だからこそ争奪戦を覚悟で日本球界復帰時に牧田投手の再獲得を目指していた。この師弟関係をこのまま放置してしまうのはあまりにももったいない。だからこそ来季コーチとしてユニフォームを着ることが引退したタイミング的に難しい今、西武球団には牧田投手を何らかの形で球団内に呼び戻し、渡辺久信GMの補佐として牧田投手に第二の人生を歩ませてあげて欲しいと筆者は願っている。
最後になってしまうが、牧田投手、12年間のプロ野球人生本当にお疲れ様でした!まずはしっかりと休んでいただき、英気を養い、またライオンズに戻ってきてください!