2023年12月 1日公開
驚きのライオンズニュースが突然飛び込んできた。なんと呉念庭選手が今季限りでライオンズを退団することになった。自由契約を申し入れてそれが了承されたという形になるわけだが、呉選手は今後は台湾のプロ野球でプレーすることになるようだ。
渡辺久信GMは呉選手を来季も戦力と考えており、当然契約も更改するつもりだったようだが、その契約更改というタイミングで呉選手から申し入れがあったらしい。確かに渡辺GMの仰る通り、申し入れとしてはやや時期が遅いなという印象だ。だが呉選手自身、それだけギリギリまで悩み抜いたということなのだろう。
呉選手はライオンズでプレーしている間もずっと、試合が終わると父親と反省会を行ないアドバイスをもらっていたという。そんな毎日の中、一昨年あたりから渡辺GMは「いつかは台湾に帰ってプレーしたい」という意思を聞いていたようだ。
呉選手としては戦力外となってから台湾に戻るよりは、まだ選手としてバリバリ働ける段階で台湾に戻ってプレーしたいという意向があったらしい。
ちなみに移籍先などはまったく決まっておらず、呉選手の場合は台湾で7月に行われるドラフト会議で指名されたのち、台湾のプロ野球でプレーできるようになる。つまり呉選手はしばらくの間は台湾でプロとしてプレーすることはできないわけだが、できるようになるまではおそらく、元プロ野球選手であった父親・呉復連氏とトレーニングを積んでいくのだろう。
渡辺久信GMはスワローズ退団後は台湾に渡り選手兼任コーチとして大活躍したのだが、その時、嘉南勇士というチームで同僚だったのが呉念庭選手の父親、復連氏だった。
その縁もあり渡辺GMは念庭選手のことは5歳の頃から知っているそうで、日本の高校大学でプレーしていた際も、その姿をずっと追っていたと言う。そういう意味では呉念庭選手は、渡辺久信GMにとっては思い入れのある選手の一人だった。
いくら台湾のすぐ近くである日本という国であっても、故郷を離れて異国の地で生き続けるのは大変だったと思う。しかも常に結果が求められるプロ野球という世界ではなおさらだ。
異国でプレーをする難しさを感じながら、きっとこれまでも郷愁の思いを抱き続けていたのだろう。そうして30歳という年齢を越え、今季は出場機会も大幅に減らしてしまったということもあり、戻るならこのタイミングだと考えたのかもしれない。
もし今季も2021年のように130試合程度出られていれば考えも違っていたのかもしれないが、2022年は94試合、今年は41試合とどんどん出場数を減らしてしまった。きっと呉選手自身、30歳でここからさらに飛躍するというイメージを持てなかったのだろう。
しかもこの成績で30歳を越えれば、来季はさらに出場数が限られる可能性もある。長期間2軍でプレーするよりは、まだバリバリやれるうちに母国に帰ってプレーをしたいと考えても確かに不思議はない。
決してライオンズでレギュラーを掴めたというわけではなかったが、しかし内野ならどこでも守れる器用さは、これまで幾度もチームのピンチを救ってくれた。
もしチームに故障者が出た際に呉選手の存在がなければ、当時ライオンズはもっと苦しい戦いを強いられていただろう。だが呉選手がいたことにより、どのポジションで誰が怪我をしたとしてもすぐに穴を埋めることができたし、しかも状況や調子によっては内野だけではなく、外野手として試合に出ることも少なくなかった。
チーム力を安定させるためには有事で頼れるユーティリティープレイヤーは不可欠だ。呉選手はまさにどこにでもフィットしてくれる優秀なパイプレイヤーだった。
日本人選手であっても、地元でプレーしたいという意向を持ちライオンズを去っていった選手は多い。例えば千葉にしろ、宮城にしろ、大阪にしろ、実際のところはライオンズのユニフォームを着ていつでも地元でプレーすることができる。
それでも一部の選手は地元にこだわり移籍して行くのだから、母国を離れて日本で長年プレーしてきた呉選手であれば、それ以上に故郷でプレーしたいという思いが強かったはずだ。
呉選手がライオンズを去ってしまうのは非常に寂しいが、しかしこればかりは仕方がないと思う。だからこそこれからはライオンズファンとして、筆者は台湾で活躍して行くであろう呉念庭選手を応援し続けていきたい。
そして最後にこれだけは伝えたい。呉選手、これまでライオンズの勝利のためにたくさんの貢献をしてくれて本当にありがとう!!