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2024年9月 3日公開

プロ野球選手初の大手術を乗り越えるも、岡田雅利捕手の引退に募る一入の寂しさ

チーム内からだけではなく、チーム外からも愛された岡田雅利捕手

プロ野球選手初の大手術を乗り越えるも、岡田雅利捕手の引退に募る一入の寂しさ

金子侑司選手に続き、岡田雅利捕手も今季限りで引退することが発表された。金子選手にしても岡田捕手にしても、チーム内外から愛された本当に素晴らしい選手だった。しかし二人とも現役生活の後半は怪我に泣かされることが多く、思うようなプレーができないもどかしさも募っていたと思う。

特に岡田捕手の場合は2018年は右肘の手術、2019年は本塁でのクロスプレーで痛めた左手の親指、そして同時に長期間不安を抱えていた左膝を手術した。この2019年は僅か36試合の出場でしかなかったのだが、西武球団はこれまでの岡田捕手の貢献度を鑑み、リハビリへの励みとして欲しかったのだろう。背番号が37番から2番に変更された。

これだけ出場試合数が少ない中での37番から2番への変更は異例とも言えるものだった。だが西武球団はそれだけ岡田捕手の存在がチームに与えるプラスの影響を買っていたということなのだろう。残念ながら岡田捕手は引退するその日まで正捕手の座に就くことはできなかったわけだが、しかしその人望は将来の幹部候補としては十分すぎるほどだ。

2021年オフ、岡田捕手は取得していた国内FA権を行使した上でライオンズへの残留を表明した。この時もし岡田捕手がフリーエージェントになっていたら、手を上げる球団は1つや2つではないと言われていた中、大阪桐蔭高校の後輩である森友哉捕手の説得もあって宣言残留することになった。だが残念ながらその一年後、岡田捕手の残留を要望した森捕手はFAでライオンズを去っている。

ファンの間では岡田捕手の残留をあれほど望んだ森捕手が、その僅か一年後にFA移籍することに対し批判も散見された。筆者自身も森捕手の言動には納得いかないところもあったわけだが、しかし岡田捕手は小言一つさえ口にすることなく、ただバファローズでの森捕手の活躍を願うコメントだけを残した。これもまた岡田捕手の人柄の良さを知ることができるエピソードだと言える。

岡田捕手はどんな相手に対しても分け隔てなく気さくに接してくれる。それこそライオンズ周辺で仕事をしているとは言え、外部の人間である筆者のようなパーソナルコーチや、スポーツライターたちにも本当に良くしてくれた。中には筆者のような外部の人間には、こちらが挨拶をしても碌な挨拶を返してくれない選手も稀にいるのだが、岡田捕手は決してそんなことはなかった。

岡田捕手に関するスポーツ紙の記事を読むと、岡田捕手は記事を読んだ選手の感想をこっそりと記者本人に伝えてあげるようなこともしていたようだ。これは記者としては本当に嬉しいのではないだろうか。普段、記者はSNS上で読者の意見を目にすることはあっても、選手からの感想を聞くことができる機会はほとんどないからだ。このようにスポーツ記者を喜ばすことまでしていたのだから、岡田捕手がチーム内外から愛されていたことも十分に理解できる。

プロ野球選手初の大手術をも乗り越えた岡田雅利捕手

筆者は時々、柘植世那捕手にしても古賀悠斗捕手にしても、もっと捕手脳を生かして打席に立つべきだと書くことがあるのだが、まさにそれができていたのが岡田捕手だった。岡田捕手は決して正捕手となった選手ではないが、しかし52試合の出場で.272打った年もあり、捕手としてだけではなく、ピンチヒッターやピンチバンターとしても良い働きを見せてくれた。

岡田捕手はバントが非常に上手い選手であり、このあたりは本当にライオンズの若手選手には見習って欲しかったのだが、しかし若手選手たちが岡田捕手のプレーを見ることができる機会は残念ながらもうなくなってしまった。もし岡田捕手が怪我することなくずっと一軍でプレーできていたら、チーム防御率はもっと向上していただろうし、若手選手たちもチームバッティングについてもっと学ぶことができていただろう。

だが岡田捕手は本当に最後の最後まで怪我に苦しまされたプロ野球人生を送っていくことになる。2021年オフにFA権を行使してライオンズと3年契約を結ぶも、翌年は左膝半月板の手術、さらには2023年には大腿骨・脛骨骨切り術という、プロ野球選手初の大手術を受けることにもなる。

もし20年ほど前であれば、岡田捕手の体の状態は「再起不能」とも診断されるほどだったはずだ。だがこの20年間でスポーツ医学が目覚ましい発展を遂げたおかげで、岡田捕手はこれだけの大手術を受けながらもまたグラウンドに戻れる可能性をドクターから与えられた。そして実際に今季はファームで16試合に出場し、15打数5安打の打率.333という成績を記録している。しかも捕手としても14試合でマスクを被っている。

ファームでこれだけのプレーを見せてくれていたことから、筆者は来季こそはいよいよまた元気な岡田捕手を一軍で見られるのかなと大きな期待を寄せていた。だからこそ今日発表された岡田捕手の引退には非常に驚いてしまった。岡田捕手の引退はまだまだ早すぎると思うからだ。

しかし大手術を経て、辛いリハビリにも耐え、今季ようやくファームとは言え試合に戻って来られたわけだが、岡田捕手の中ではもう思うようなプレーはできないという確信めいたものがあったのかもしれない。これ以上身体が良くなることはないという気持ちにもなってしまったのかもしれない。

これからは西武で名捕手の育成に携わってくれるであろう岡田雅利捕手

しかし岡田捕手の野球人生はここで終わるわけではない。これからはバッテリーコーチとして球界を代表するような名捕手の育成をライオンズでやっていかなければならない。まずはファームでコーチとしての経験を積み、数年後には満を辞してバッテリーコーチとして一軍のベルーナドームに戻ってきてもらいたい。

岡田捕手はただ人当たりが良いだけの良い人ではない。チームメイトに対してはダメなプレーはダメだと言える選手だ。そのためコーチになっても、選手に寄り添うだけのコーチで終わることはなく、選手をしっかりとコーチングできるコーチになってくれるはずだ。

ちなみにコーチという言葉の語源は御者(馭者)ぎょしゃ。御者とは馬車などの動物を使った乗り物の運転手のことだ。馬を上手く右に左に操り、目的地に真っ直ぐ向かっていけるように制御する御者のことをコーチと呼ぶ。つまりコーチの役目とは、選手が理想に近づけるように上手く導き、実際にそこに辿り着けるようにするための指導を行うことであり、決して教えることではないのだ。

これはプロのコーチでも多くが勘違いしていることではあるが、コーチの役割は教えることではない。あくまでも指導によって選手を導いてあげることが役目であり、教えるのはコーチではなくティーチャーの役目だ。しかしプロ野球には未だに教えたがるコーチばかりで、コーチングというものを何も分かっていないコーチが非常に多い。

コーチが選手を教えてしまうとその選手は育たなくなる。例えば手取り足取り教えるやり方というのは、これは外発的要素によって上達を目指すというやり方であり、極端に言えば取って付けたような状態になりやすく、技術が身に付きにくい。だが教えるのではなく、上手く導く(指導する)ことができれば、それは内発的要素による上達となり、選手自らの変化によって上達を目指すことができ、内発的である分技術も身に付きやすい。もちろん何も知らない野球を始めたばかりの子どもには手取り足取り教えることが必要なこともあるが、しかしプロ野球のコーチはそうであってはならない。

上達に関してもモチベーションに関しても、スポーツ心理学においては内発的であることが非常に重要となる。筆者は、岡田捕手の他選手への接し方を見ていると、岡田捕手は選手の内発的要素を最大限引き出してくれるコーチになれると思うのである。

残念ながら今のライオンズの一軍コーチの一部は、選手に寄り添うだけになってしまっているコーチもいる。だがこれはコーチではなく、練習のサポート役と呼ぶに相応しい。人間的に「すごく良い人」がこのような寄り添い型のコーチになってしまいやすい。

しかし岡田捕手の場合は良い人なだけではなく、チームメイトに対し厳しく接することができる強さも持っているため、コーチになった際にはしっかりと選手を導くことのできる指導者になれるはずだ。メジャーリーグには「できるのならプレーし、できないのならばコーチになれ」、という格言がある。日本で言うところの「名選手は名指導者に非ず」、とよく似た言葉であるわけだが、岡田捕手は数字的には名選手と呼ぶことはできない。だが名指導者になれる可能性は誰よりも高いと筆者は思うのである。

大ベテランの炭谷銀仁朗捕手を除くと、ライオンズの捕手陣のレベルは非常に低い。一軍でマスクを被っている捕手たちにしても、残念ながらまだまだ一軍レベルのリード、一軍レベルのキャッチングには至っていない。そんな彼ら、そしてこれから新しく入ってくるであろうさらに若い捕手たちを一人前に育て上げるためにも、岡田捕手にはコーチとしてこれからもライオンズのユニフォームを着続けてもらいたい。

恐らくは近い将来、炭谷捕手も引退を迎えた後は、一軍二軍のバッテリーコーチは炭谷コーチ・岡田コーチというコンビになっていくのだと思う。本来年齢的には岡田捕手は炭谷捕手よりも先に引退してはならなかったわけだが、しかし岡田捕手は一足先に引退することにより、炭谷捕手よりも早く指導者としての経験を得ることができる。これは大きなアドバンテージだ。

強いチームには名捕手の存在あり、とは昔から言われていることだ。そしてその言葉通り、炭谷捕手、細川亨捕手、伊東勤捕手、中嶋聡捕手ら名捕手がプレーしていた頃のライオンズはBクラスに落ちることさえほとんどなかった。岡田捕手には来季からは、彼らのような名捕手を育てることに尽力して欲しい。

そして最後に、岡田捕手、長期間に及ぶ過酷なリハビリ、本当にお疲れさまでした。そして最後までライオンズ愛を貫き、ライオンズのためにプレーし続けてくれて本当にありがとう!正捕手と呼ばれることがなかったとしても、あなたは間違いなく名捕手でした。

THE埼玉西武ライオンズガゼット筆者/カズ
筆者 2010年1月よりパーソナルコーチとしてプロ野球選手のサポートを行うプロフェッショナルコーチ。 選手の怪我のリスクを正確に分析し、怪我をしないフォームに変える動作改善指導が特に好評。 このブログではプロコーチ目線でライオンズについて冷静に、そして愛を込めて書いていきます!
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