2020年2月 9日公開
2006年オフにライオンズのユニフォームを脱ぎ、ボストンへと渡って行った松坂大輔投手が、その年以来、実に14年振りにライオンズに戻って来てくれた。この14年間はまさに紆余曲折だったと言えよう。レッドソックスでは2年目に18勝3敗という驚異的な成績を残したこともあれば、メジャー生活後半は怪我や不振に悩まされた。だが2020年、かつて背番号18を背負っていたレオのエースは16番という新しい番号で、推定年俸も3,000万円という金額でライオンズに戻って来てくれた。
筆者個人としては、やはり2016年の時点でライオンズに戻って来て欲しかった。松坂投手自身、どんな金額提示だったとしてもライオンズから声がかかれば戻りたいという意思は持っていたようだ。しかしこの時点の西武球団は松坂投手の選手としての能力に対し懐疑的だったようで、手を挙げることはしなかった。
そこで手を挙げたのが福岡ソフトバンクホークスだったわけだが、ホークスでの1軍登板は僅かに1試合のみで、勝利に貢献することはできなかった。その後森繁和監督、デニー友利コーチという伝手もあり中日ドラゴンズに移籍すると、2018年は6勝4敗という成績を残し、カムバック賞を受賞した。だが翌2019年は握手をした際にファンが腕を引っ張ってしまい、元々不安が残っていた肩を再び痛め、僅か2試合の登板で終えてしまった。そしてその年のオフ、森繁和シニアディレクターとデニーコーチの退団を受け、松坂投手も中日を去ることに決めた。
松坂投手が退団を申し入れた際、中日球団は慰留はしなかったようだ。中日球団としてもチームの若返りを目指し、成績を残せなかったベテランとの再契約はしにくいという状況もあったのだろう。だがそのような流れがあったことで、松坂投手はようやくライオンズに戻って来ることができた。しかしもしライオンズに渡辺久信GMの存在がなければ、松坂投手のライオンズ復帰も実現していたかどうかはわからない。
今から数年前、球団本部長がまだGM役を務めていた頃の西武球団は、とにかくフロントと選手の間の信頼関係に欠けていた。もうあえて名前を出すことはしないが、現職の前の代と、その前の球団本部長2人は契約更改の度に選手の気持ちを逆撫でするような言葉を発していた。その影響でライオンズの主力たちは続々FAで他球団へと移籍していくことになる。もしまだ彼らが編成部のトップに立っていたら、松坂投手のライオンズ復帰はなかったかもしれない。
だが渡辺久信GMが誕生してからというものの、フロントと選手の間に絆が生まれ始める。就任最初のオフこそ炭谷銀仁朗捕手、浅村栄斗選手がライオンズを去ってしまったが、しかしこの頃はまだ前任者の後遺症が残っている時期だったと言える。しかし渡辺GMが精力的に動き回り、渡辺GMのやり方が色濃く出始めた2019年オフは誰もFAで移籍はせず、さらには「生涯ライオンズ」とも取れるニュアンスで複数年契約をする選手も新たに出てきた。
GMの職責は非常に難しいものだ。活躍した選手の年俸はできる限り上げてあげたいが、しかし球団には予算というものもある。今までの西武球団の総年俸などを鑑みても、2019年オフの年俸総額は決して予算内ではなかったはずだ。だがそこは渡辺GMがオーナー側に直談判を繰り返すことによって、金額を上げてもらうことに成功したのだろう。そして西武グループ全体の好業績も味方していたと思う。
「FAで出ていったんだから、その後のことはうちは知りませんよ」というのが、渡辺GMの前任者たちのスタンスだった。そのためFAや海外移籍した選手がライオンズに戻ってくることはなく、工藤公康投手に関しては非常にレアなケースで、その後の目立った出戻りは松井稼頭央選手だったろうか。だが渡辺GMになってからは、ライオンズを出ていった選手たちが続々とコーチとして戻り始めている。松井稼頭央2軍監督だけではなく、豊田清コーチ、小関竜也コーチ、許銘傑コーチ、青木勇人コーチ、杉山賢人コーチなど、黄金時代、もしくは黄金時代終盤の常勝球団だった頃のライオンズを知るコーチたちが続々と戻って来ている。
その流れの一環と言えるのかもしれないが、2020年、ようやく松坂大輔投手もライオンズへと戻って来てくれた。当然だが松坂投手は将来の監督候補となりうる人材だ。そして選手としての経験値は計り知れず、いつか引退した後も当然指導者としてライオンズに残ってもらうことになるのだろう。とは言え、もちろん今はまだ松坂投手は戦力として考えられている。
松坂投手にはプロ入り時の監督、東尾修元監督と交わした1つの約束がある。その約束を果たすまでは簡単に引退することなどはできない。松坂投手は200勝達成の記念ボールを東尾元監督に渡さなければならないのだ。海を渡った時は、この約束はアメリカで果たされるのだろうと思っていたが、どうやら所沢で果たされることになりそうだ。あと30勝。今の松坂投手にとっては3年かけても簡単な数字ではないかもしれないが、しかし少なくともあと4~5年は選手として活躍してもらい、200勝という数字を大きく超えてなお投げ続けてもらいたい。
ところで筆者は以前、2014年まで日刊埼玉西武ライオンズというサイトから発信していたのだが、仕事で海外生活が多くなってしまいライオンズの試合をまったく観れなくなってしまい、他の大のライオンズファンの方にサイトをお譲りしてしまった。しかし松坂投手も戻って来たということで、筆者もまたこの場に戻りたいという気持ちが強くなり、2020年より再び書き始めることにした。6年間の長いブランクとなってしまったが、筆者も松坂投手のようにカムバック賞を読んでくださる皆様から頂けるように、これからまた頑張って書き続けていきたいと思う。