2022年11月13日公開
将来的にもう一度ライオンズのユニフォームを着なければならない人と言えば、やはり松坂大輔氏と清原和博氏のふたりだと思う。このふたりにはやはり、近い将来もう一度ライオンズのユニフォームを着てもらいたい。
清原和博氏と言えば、誰もが知る黄金時代の四番打者だ。主要タイトルには縁はなかったが、しかし自らを犠牲にしてチームを勝利に導く姿は、今のライオンズの選手たちは本当に見習うべきものだと思う。黄金時代の清原選手は、まさに真の四番打者と呼ぶに相応しい選手だった。
だが引退後には大きな問題を起こしてしまい、清原氏はNPBには戻って来られない状況になってしまった。だが清原氏はそれに関しては今も苦しい治療を続けていると言うし、もう十分に禊いでいるとも思う。あとは心身共にしっかりと健康を取り戻すことができたら、西武球団にはぜひ清原氏に最後のチャンスを与えてあげて欲しい。
日本一になった頃、渡辺久信監督は引退を表明したばかりの清原選手に対し「指導者になる前に一度外に出ろ」という言葉を残している。これはユニフォームを着ていては経験できないことを経験し、知見を深めてから指導者になった方が良いという意味合いだった。だが清原氏は引退後、どんどん道を逸れて行ってしまう。
だがそれも家族を失いかけたことで自らを取り戻し、今は全身全霊をかけて更生に挑んでいる。この挑戦への道のりは本当に長いものになると思うし、そして外からでは想像もできないほど辛いとも思う。だが清原氏はそれだけのことをしてしまったわけであり、それは本人も十分承知されているはずだ。
引退後の清原氏はとてもじゃないがまともな人間には見えず、野球ファンの心はどんどんかつてのスター選手から離れて行ってしまった。見た目にしても爽やかさなどまるでなく、まるで任侠映画の登場人物のようだった。だが清原氏にはそんな姿になっても気遣い続けてくれる桑田真澄氏、佐々木主浩氏というふたりの親友がいた。清原氏にタトゥーの除去を強く求めたのは佐々木氏だとも言われている。
桑田氏に関しては頻繁に清原氏に連絡を入れていたらしいのだが、それを煩わしく感じた当時の清原氏は、そんな桑田氏を遠ざけるようになってしまった。そしてこの過ちが清原氏の道をさらに逸らすことになってしまう。
だが最終的には清原氏も心を入れ替えて、今は治療に苦心しながらも野球界への恩返しに取り組んでいる。だがまだまだ健康を取り戻したと言える段階ではないため、現時点では西武球団も清原氏を招聘することはできない。
それでも健康を取り戻したという医者のお墨付きさえもらえれば、清原氏にはライオンズの3軍育成コーチなど、本当に若い選手を相手にして日々汗を流すところから始めるのが最善だ。そして一昔前に呼ばれていた「番長」のイメージなど完全に払拭し、プロ2年目の日本シリーズで涙を流したあの時のような心を取り戻し、また爽やかな笑顔でライオンズのユニフォームを纏ってもらいたい。
松坂大輔氏に関しても、いつかはライオンズのユニフォームを着て指導者をしたいという希望を持っているようだ。引退してからの2年間はユニフォームを着ないという選択をしたわけだが、しかし一年後のオフにはぜひ再びライオンズのユニフォームを着るという選択をして欲しい。
松坂投手は中学時代は主に江戸川区のグラウンドでプレーしていたのだが、筆者は松坂投手よりも2学年上で、同じ場所の違うチームでプレーをしていた。そのため松坂投手のことは彼が中学生だった頃からそのプレーを見続けている。筆者の記憶が正しければ中学時代の松坂投手はぽっちゃり体型で、確かアンパンマンと呼ばれていた。
その松坂投手が名門横浜高校へと進学し、高卒後はライオンズにやって来た。ファンとしては非常に嬉しい瞬間だった。この松坂氏もやはり、清原氏同様再びライオンズのユニフォームを着なければならない一人だ。
松坂投手は現役時代、酸いも甘いもすべてを経験したまさに百戦錬磨の大投手だ。残念ながらライオンズでリーグ優勝からの日本一を達成することはできなかったが(2004年はリーグ2位からの日本一)、しかしレッドソックスとWBC日本代表として世界一を経験した。だがその後は怪我に泣かされるシーズンが続くことになる。
その怪我については筆者はかなり早くから予測してずっと周囲にも話していたのだが、松坂投手の怪我の原因は何と言っても股関節の硬さだった。硬いと言ってももちろん一般人にとっての硬さではなく、アスリートとしては硬いというレベルだ。これは恐らく筋肉そのものの柔軟性の乏しさではなく、可動性がやや低い形状の股関節を先天的に持っていたためだと思われる。
それもあり松坂投手はメジャー時代は、日本にはほとんど存在しない股関節専門のトレーニングジムにも通っていた。だが期待以上の効果は得られなかったのだろうか、途中から松坂投手は股関節をそれまで以上に上手く使うことよりも、インステップにしてあえて使わない投げ方を選んでしまった。
筆者は野球の動作改善の専門家であるわけだが、実は野球肩やイップスになってしまう選手の95%以上がその大小は問わず、インステップになっているのだ。つまり松坂投手は何らかの目的を持ち、あえて肩に大きな負荷がかかるインステップというモーションを選んだということだ。だが松坂投手がそのデメリットについて把握していたのかどうかは筆者には分からない。
このように松坂投手は世界一も経験したし、怪我に苦しむという経験もしている。これだけ振り幅の大きな経験をしている選手などそういるものではない。そういう意味では人望もある松坂大輔氏は、選手のことをしっかりと理解してあげられるとても有能な指導者になれると思う。
そしていつかは背番号18を背負って、ライオンズの監督として指揮を揮う日もやってくるのだろう。ライオンズファンとしてはついついそんな日を夢見てしまう。
来季2023年からは、いよいよ松井稼頭央監督の新政権が船出していく。これは今まで以上にライオンズが強くなる可能性を秘めている中でも、渡辺久信GMの頭の中はすでに、松井稼頭央監督の次の監督の育成にシフトしているはずだ。
その候補の一人として間違いなく挙げられるのが松坂大輔氏だ。だが渡辺GMは他球団のように、いきなり松坂氏に監督をさせるようなことは絶対にしないはずだ。まずは2軍投手コーチあたりから始めさせ、2軍監督や1軍ヘッドコーチを経て、しっかりと指導者として十分な経験を積ませてから監督を任せるはずだ。
そして現時点ではすでに西口文也2軍監督を将来の1軍監督候補ともしているため、このあたりは状況次第ということになるのだろう。ただし監督としてファンをベルーナドームに呼べるのは、全盛期に娘さんと西武遊園地に行っても誰にも気付かれなかった西口文也2軍監督よりも、どこに行っても華のある松坂大輔氏なのだと思う。
そのためもし近い将来に松坂大輔氏の指導者修行を始められるのであれば、将来的には松坂大輔監督、西口文也&豊田清投手コーチという姿が最も収まりやすいのではないだろうか。そしてその中に清原和博氏が好々爺として加わり、ファームからどんどん新鋭スラッガーを1軍に送り込んでくれれば、これ以上に楽しみなライオンズの姿もまた想像し難い。
そしてそんなドリームチームを実際に渡辺久信GMが構築できるようにするためにも、清原和博氏には今はとにかく心身共にしっかりと健康を取り戻す努力を続けてもらいたい。今は心身ともにまだまだ本当に辛いと思うのだが、しかしそれに見合うだけのことをしてしまったのだから仕方がない。だが真の四番打者清原和博ならば、必ずこの苦難をも乗り越えていくはずだ。
野球界にはその大小はともかく、現役中でも引退後でも社会的問題を引き起こす者が非常に多い。日本シリーズで活躍したレベルのライオンズの名左腕でもあっても、最近は詐欺まがいの金銭トラブルを報じられている。だが人間とは大なり小なり過ちは犯すものだ。だからこそ大事なのはその過ちをしっかりと反省して更生した者には、少なくとも一度のチャンスは与えてあげることだと思う。
清原和博氏ならば、いつかきっと指導者として松坂大輔氏を支えられるはずだ。だがそのためにもまずは心身の健康と謙虚さを取り戻し、派手な芸能関係者との交友も再開させず、PL学園時代のように再度野球だけに打ち込む覚悟を決めなければならない。だがそのような決断を下して実際に行動に移せるのであれば、清原和博氏はきっと素晴らしい指導者になってくれるはずだ。
そして筆者はそんな将来の将来を想像しながらも、今は松井稼頭央監督の船出を祝いシャンパンのボトルを船縁で割りたいと思っている。