2023年12月 5日公開
かつてのライオンズの主将、栗山巧選手は今季3年契約を終え、来季は単年契約の年俸1億800万円で迎えることになった。普通に考えれば来季41歳という年齢ならば、そろそろ引退という文字が現実味を帯びてくる。
しかし栗山選手はもちろんのこと、中村剛也選手とのこのベテランコンビにはまだまだ引退という文字はチラつかない。中村選手は500本塁打まであと29本と迫り、栗山選手も今度は400二塁打まであと1本と迫っている。
全盛期の活躍からすると、確かに近年の数字は少し寂しくなってきた。栗山選手も今季は77試合の出場で打率.217、本塁打7、打点19となっている。だが今季40歳という年齢を考えれば、この数字の貢献度は決して小さくはないだろう。
今年もドラフト会議では多くの高校生・大学生が指名されたわけだが、18歳の高校生、22歳の大学生が生まれる前から栗山選手と中村選手はプロ野球選手なのだ。二人は高卒以来、来季はいよいよ23年目のシーズンを迎える。
10年間プロでプレーできる選手さえ多くないのに、この二人は来季23年目のシーズンとなるのだ。それを考えるだけでも、二人がいかに大きな怪我なくチームに貢献し続けてきたのかがよく分かる。
もちろん栗山選手がシーズンを通して試合に出続けることは難しい。だが栗山選手が40歳になっても決して手を抜くことなく試合に挑んでいる姿を見せられれば、年下の選手たちも決して手を抜けなくなる。栗山選手が休んでいないのに、後輩たちが休むわけにはいかない。
するとチーム内の練習中の雰囲気も自然と引き締まるようになり、練習そのものの質も上がっていく。栗山選手が普段見せているそのような姿は、実は数字以上の貢献度があるのだ。
実際蛭間拓哉選手はルーキーイヤーを終えて、栗山選手が技術面でもメンタル面でもしっかりと準備をしていることに気づいた。ルーキーでこれに気付くのも素晴らしいとは思うが、やはり蛭間選手が生まれた頃にプロ入りした栗山選手の弛まぬ努力の継続は、これは何物にも替え難いライオンズのレガシーだと言える。
実は筆者はまだ栗山選手が若手と呼ばれていた頃、ある番組でデニー友利氏と共演させていただき、「栗山選手は間違いなくライオンズの象徴となっていく」という趣旨の話をしたことがある。まだ栗山選手がようやく1軍の試合に出始めた頃だった。
当時筆者はライオンズのまだ古かった屋内練習場で、栗山選手が試合後に黙々と打ち込みを行っている姿を幾度か目にしていた。そしてその練習はただ数をこなすだけの打ち込みではなく、フォームを確認しながら本当に丁寧に打ち込みを行なっていた。
多くの選手が雄叫びを上げながら、まるで重量挙げでもするかのようにバッティング練習をしている中、栗山選手だけはただ黙々とフォームを確認しながらのティーバッティングを行なっていた。しかもナイトゲームが終わった後に。
その姿を見て筆者は、この選手は必ずライオンズ史に名を残す選手になると確信したものだった。まだ栗山選手が52番を背負っていた頃の話だ。
その選手がやがてライオンズ不動の二番打者となり、2008年には見事日本一を達成し、自身も最多安打のタイトルを片岡易之選手と分け合っている。
残念ながら首位打者には手が届かず、この時の最多安打が唯一の個人タイトル(打撃主要部門)となってしまったが、しかしそれでも2000本安打を達成したのだから、これは見事としか言いようがない。
筆者はパーソナルコーチという仕事をしていることで、多くのプロ野球選手の練習を見させてもらうことができた。その中でも打の栗山巧選手、投の涌井秀章投手、このふたりに関しては、練習の質が他の選手のかなり上を行っていた。
涌井投手に関しては走り込みの量も半端ではなく、まるで陸上でオリンピックを目指しているのではないだろうかという量を走り込んでいるように当時の筆者には思えた。ちなみに筆者は個人的に縁あって、涌井投手がまだ中学生だった頃から涌井投手のフォームを見続けていた。
この選手はプロで「通用する」「通用しない」というのは、練習の質と柔軟性を見ればだいたいのところは予測できる。プロに入ってもまだ柔軟性がアスリートレベルではない場合、一時的には活躍できたとしても、怪我を繰り返して自らの意思で引退できないことが多い。
そういう意味では栗山選手にしても、現在はドラゴンズで活躍する涌井秀章投手にしても、プロで長年通用するであろう姿をライオンズで若手だった頃から見せてくれていた。
「この選手は必ずライオンズ史に名を残す」と感じさせてくれた選手が、今実際にライオンズ史に名を刻む活躍を見せ続けてくれている。このように思い入れのある選手が期待以上の活躍を見せてくれると、ファンとしては本当に応援してきて良かったなと思えるものだ。
栗山選手はきっと、まだまだ2年も3年もライオンズのユニフォームを着てプレーし続けてくれるだろう。だがいつかは必ずユニフォームを脱ぐ日はやってくる。その時愛弟子である蛭間選手が栗山選手の背中を追いかけ、背番号1を継承することになるのかもしれない。
だが遠い未来であるその日が来るまでは、栗山選手には決して蛭間選手に負けることなく1軍の戦力で居続けてもらいたい。そして2024年こそは、2008年以来の日本一というニュースをファンに届けてもらいたい。