2020年2月16日公開
かつてはレオの貴公子と呼ばれた男も今年はプロ19年目の37歳となる。1軍定着後は目立った怪我もせず、栗山巧選手は常に試合に出続けた。そして2012~2016年まではキャプテンも務め、外野からチームを鼓舞し続けた。栗山選手はライオンズ愛を強く持つ選手で中村剛也選手と共に、まさにライオンズのフランチャイズプレイヤーと呼べる大ベテランとなった。その栗山選手だが、まだまだ元気一杯だ。
昨季までの18年間で積み上げたヒットは1825本で、この数字はもうライオンズの歴代1位の数字となっている。そして名球会入りまでもあと175本と迫っており、2019年に近いペースでヒットを打てれば早ければ2021年、遅くとも2022年には達成できるペースだ。ここに来て松坂大輔投手の200勝と共に、栗山巧選手の2000本安打が現実味を帯びている。
栗山巧選手はとにかく誰よりも練習をする。今キャンプでも誰よりも早く練習場に現れ、黙々と打ち込みを行っている。37歳になるシーズンの栗山選手がまだ練習を続けている状態で、若手選手が手を抜くことなど決して許されない。栗山選手がライオンズというチームに与えている影響は計り知れない。栗山選手の背中を見て力をつけられるようになった若手選手も多いはずだ。目立ったタイトルと言えば2008年に片岡易之選手と分け合った最多安打のみとなるが、しかし栗山巧選手がプレーする姿はライオンズファンの心に色濃く記録されている。
そして多くの選手がFAやポスティングでライオンズを去っていく中、栗山選手と中村選手はFA移籍に対しまったく興味を示してこなかった。これもこのふたりがファンから愛される大きな要素なのだろう。ふたりとも関西出身の選手であるにもかかわらず、関西でプレーをしたいという素振りさえ見せなかった。栗山選手自身、生涯ライオンズを誓っており、栗山選手にしても中村選手にしても、FA権を行使した上でライオンズに残留している。
かつて赤田将吾選手がオリックスにトレードされた際、若き涌井秀章投手が人目も憚らず号泣したことがあった。栗山巧選手もいつか引退する日が来たら、きっと後輩から涙で送ってもらいながらユニフォームを脱いでいくのだろう。とは言えまだまだ栗山選手に引退の文字などちらつかない。確かに30代に入ってからは打率3割という数字からはどんどん遠ざかっている。打者としての脅威は薄れてはいるが、しかしそれでも下位打線に栗山選手の名前があれば、相手投手はまったく油断ができなくなる。やや選手としての衰えを見せているとはいえ、甘いボールをスタンドまで運ぶ力は十分すぎるほどに健在だ。
兵庫の育英高校からライオンズに入り3年間は、1軍での出場は僅かに1試合でヒットも1本しか打てなかった。その栗山選手が2000本安打まで手が届くところまで来ている。実は過去、ライオンズではフランチャイズプレイヤーが2000本安打を達成したことが一度もない。ライオンズのユニフォームを着て達成した選手には山崎裕之選手がいるが、元はロッテの選手だった。そして秋山幸二選手はダイエー、清原和博選手は巨人、和田一浩選手は中日、松井稼頭央選手は楽天と、かつてライオンズでプレーした選手たちはいずれも他球団でこの記録を達成している。
栗山選手には、ライオンズで2000本安打を達成する初のフランチャイズプレイヤーとなってもらいたい。そしてそのためにもまだまだ代打に甘んじるのではなく、レギュラーとして試合に出続けてもらいたい。近年はDHでの出場がほとんどではあったが、メヒア選手とスパンジェンバーグ選手が共に活躍し、逆に外野を守る日本人選手が沈んでいるようであれば、レフトを守る機会も増えるかもしれない。「年齢的に」という言葉を使うのは栗山選手には失礼だ。栗山選手には代打やDHに甘んじてしまうのではなく、西武ファンに一番近いレフトの守備位置からサードを守る中村選手と共に、その元気な姿を見せ続けてもらいたい。