2024年3月14日公開
本当に、楽天球団はなぜ炭谷銀仁朗捕手を自由契約にしたのだろうか。確かに昨季の推定年俸は1億円で、出場試合数が65試合と考えると費用対効果的には決して満足のいくものではなかった。
西武球団の場合、一年間よく頑張ってくれたとは言え成績が決して満足いくものではなかったことから、マキノン選手に対し1億円を超える再契約オファーは出さなかった。近年は簡単に年俸が1億円を突破していくようになったが、それでも球団としてはやはり、出せない部分や出したくない部分に1億円を出すことはできない。
ただ、マキノン選手と炭谷捕手の選手としての価値は大きく異なる。マキノン選手は打ってなんぼの助っ人選手であるわけだが、炭谷捕手には両リーグを知り尽くす経験値がある。パ・リーグの野球はもちろんのこと、3年間ジャイアンツでプレーしたことにより、セ・リーグの野球も熟知している。つまり炭谷捕手の経験値は対パ・リーグだけではなく、交流戦でも大きな武器になるということだ。
年齢的に今季は37歳となり、さすがにフル出場を目指すことは難しい。だが仮に出場試合数が50〜60試合程度だったとしても、若手捕手をサポートしたり、将来のコーチ候補として炭谷捕手の存在は大きな価値をイーグルスにもたらすはずだった。
それでも楽天球団が炭谷捕手をリリースしたのは、もしかしたら石井一久前GMの負の遺産として認識されてしまったからかもしれない。石井一久GMが獲得した元ライオンズの選手としては涌井秀章投手、岸孝之投手、牧田和久投手、浅村栄斗選手、そして炭谷捕手らとなるわけだが、この中で残っているのはもはや岸投手と浅村選手のみとなっている。
炭谷捕手に関しては、昨季は主に岸投手や早川投手とバッテリーを組むことが多かった。ライオンズ時代から旧知の間柄である岸投手との相性は抜群で、山川選手をカーブ攻めにして不調に陥れた配球は球史に残る好リードだった。そして西武球団も獲得を目指していた若き早川投手のことも巧くリードし、一本立ちへと導いた。
ライオンズにおいても炭谷捕手のリードは、若手の多い投手陣の底上げに繋がっていくだろう。そしてそれだけではなく、今後正捕手争いをしていく柘植世那捕手や古賀悠斗捕手にとっても頼もしい存在となっていくはずだ。
さて、1998年のライオンズとベイスターズの日本シリーズで、当時正捕手だった伊東勤捕手はベイスターズの足攻に崩されてしまった。ベイスターズの俊足選手たちに走られまくれ、その結果東尾監督は途中から強肩の中嶋聡捕手を主戦捕手として起用していくことになった。
その時の伊東勤捕手は36歳だったわけだが、伊東捕手の肩の衰えはファンの目にも明らかだった。日本シリーズでのプレーを見ていても、伊東捕手が盗塁を刺せる気配はまったく感じられなかった。そして炭谷捕手は今、その時の伊東捕手と同じ年齢に差し掛かっている。
確かに20代の頃の炭谷捕手と比べると、肩の衰えはあるだろう。だが1998年の伊東勤捕手が見せた明らかな肩の衰えと比較すると、今の炭谷捕手はまだまだ盗塁を刺せるように見える。古賀捕手ほどの盗塁阻止率とは行かないだろうが、少なくとも1998年の伊東捕手よりは遥かに多くの盗塁を刺すことができるだろうし、同時に盗塁企画数を減らすこともできるはずだ。
もちろんこの四半世紀でトレーニング科学は大きく進歩し、当時の伊東捕手が経験できなかったトレーニング法が現代にはいくらでも存在している。それにより炭谷捕手もある程度の強肩を維持しているわけだが、しかし当時高木大成捕手を一塁に追いやった伊東捕手よりも、今季の炭谷捕手の動きの方が良いというのは現実問題として間違いないだろう。
そしてもう一点、伊東捕手はその頃すでにカリスマ化、神格化されているような部分があり、若い選手たちがなかなか近寄れない存在となっていた。このため最善のコミュニケーションを図ることができず、若い投手陣が伊東捕手の配球の意図を理解できていないと思われる場面も目立ち始めていた。
だが今季ライオンズに戻って来た炭谷捕手には近寄り難いオーラなどなく、むしろ炭谷捕手の方から積極的に若手選手たちに話しかけていく姿が見られている。そういう意味では、確かに伊東勤捕手は伝説の捕手であり、まさにレジェンドと呼ぶに相応しい捕手であるわけだが、36歳という年齢の捕手として考えると、36歳だった頃の伊東捕手よりも、今季の炭谷捕手の方がチームには大きな好影響を与えることができるだろう。
今季の炭谷捕手の起用法として予測できるのは、抑え捕手的な出場ではないだろうか。スタメンマスクとなると基本的には古賀捕手、柘植捕手がメインとなり、炭谷捕手がスタメンマスクを被る試合は多くはならないはずだ。だが試合の流れを変えたい時や、絶対に逆転が許されない場面などでは、炭谷捕手が火消し役や抑え捕手として起用されることになるだろう。
本来であればそのような役割は岡田雅利捕手が務めるべきではあったが、しかし岡田捕手は膝の大怪我により最近2年間はまったく試合に出ることができずにいる。そのような事情もあり、西武球団としては炭谷捕手を3500万円というリーズナブルな年俸で獲得できたことは非常に幸運だった。
楽天球団をリリースされた際、当然炭谷捕手の獲得を考えたのは西武球団だけではなかったはずだ。これだけの経験値がある捕手を3000〜4000万円程度で獲得できるのであれば、複数球団が欲しいと考えたはずだ。だがそれを上回り西武球団の渡辺久信GMは、炭谷捕手のリリースが報じられると速攻でライオンズへの復帰を打診した。
炭谷捕手もかつて仕えた監督のその誠意に漢気で応えるが如く、交渉解禁日になるとすぐにライオンズへの復帰を表明した。FA移籍やトレードにより5年間ライオンズを離れていた炭谷捕手ではあるが、5年間他球団でさらなる修行を積んで帰って来た炭谷捕手は、全盛期以上にライオンズに好影響を与えてくれるはずだ。
そして何年か後に現役を退いたあとは、バッテリーコーチやヘッドコーチ、そして二監督などの役職を経て、いつかは一軍監督に就任する日もやってくるだろう。そしてその時投手コーチを務めているのは、盟友涌井秀章であればいいなと、筆者はつい夢想してしまうのであった。