2021年1月12日公開
2020年シーズンを限りに引退をした高橋朋巳投手。西濃運輸からライオンズ入りし、僅か8年間のプロ野球選手生活だった。本人の言葉通り、まさに太く短いプロ野球人生だったわけだが、ファンからもチームメイトからも愛された選手だった。
プロ野球生活は8年間だったが、その実働はさらに短い3年間だった。ルーキーイヤーの2013年には24試合に登板し1勝10ホールドとリリーバーとしてすぐに頭角を表した。
そして翌2014年にはシーズン途中から守護神に指名され、5試合連続セーブを記録するなど、主戦投手としてブルペンからチームを牽引し、日米野球でも2試合登板している。
また、2015年には開幕から3試合連続セーブという史上初の快挙まで記録している。だが本当に輝いたのは29セーブを挙げた2014年と、22セーブを挙げた2015年のみだったと言える。繰り返すが、まさに太く短いプロ野球人生だった。
2016年以降は怪我との戦いだった。肘を痛めてトミー・ジョン手術を受けただけではなく、肩痛にも泣かされた。引退試合には、2日前に痛み止めの注射を10本打ち、座薬まで使ったと高橋投手は話しているが、それでも左肩の痛みは消えず、引退試合では106kmのボールを1球投げるのが精一杯だったと言う。
筆者も肩関節胞を損傷する野球肩を経験しているので、高橋投手ほどではないものの、投げたいのに痛くて投げられない辛さはよく知っている。しかも高橋投手の場合は多くのファンが見守る中でのピッチングであるため、その辛さは筆者には計り知れない。
2020年6月、コロナウィルスによりまだ開幕していない時点で、高橋投手は球団に引退を申し入れていたらしい。肩の痛みは癒えず、育成契約から支配下契約に戻れる目処もなく、高橋投手自身目標を失いかけていた。だが球団からの答えは「まだ開幕していないんだから諦めるな」というものだった。
「後半戦での復帰を期待してくれている」、そう感じた高橋投手の中に再びモチベーションが湧き上がり、まだユニフォームは脱がず、もう少しリハビリを頑張ろうという気持ちを持ち続けられた。
しかし肩の痛みが癒えることは最後までなく、2020年を限りに現役生活にピリオドを打った。
引退試合には多くの1軍メンバーたちが駆けつけた。同期入団で同じ年齢の増田達至投手の目には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。チームメイトが涙を見せて別れを惜しんでくれる、それこそが高橋朋巳投手が愛されたという何よりの証だ。
2021年からはライオンズアカデミーのコーチとして小中学生を指導することになっている。高橋投手にはぜひ自らの経験を生かし、怪我なく野球を続けられる子を、ひとりでも多くライオンズアカデミーから排出してもらいたい。
そしてまたいつかユニフォームを着て、ブルペンコーチとしてメットライフドームに戻ってきてもらいたい!