2022年11月11日公開
前田康介球団本部長、鈴木葉留彦球団本部長時代というのは選手とフロントが契約更改時に揉めることがほとんど毎年の風物詩となっていた。このふたりの球団本部長たちは契約更改の席で、まさに選手の心理を逆撫でするようなことを平気で口にしており、選手たちも編成部門のトップだった彼らの選手に対する愛情のなさをよく理解していた。
一時期ライオンズはとにかくFA流出が止まらなかったわけだが、その原因を作ったのはまさにこのふたりの球団本部長だったと言える。そして渡辺久信監督勇退時、人望に厚みのなかった鈴木葉留彦氏は次期監督として伊原春樹氏以外の選択肢を持つことができず、鈴木球団本部長が再招聘したその伊原監督はFA権を所有していた涌井秀章投手に対し心ない言葉を浴びせ、涌井投手のFA移籍を助長してしまった。
さらには涌井投手と非常に仲が良かった片岡易之選手も同時にFA移籍してしまう事態となってしまい、このように選手を失う事態は、まさに2002年オフに自身との確執によってデニー友利投手にトレード志願させてしまった時のデジャブを見ているようだった。つまり伊原監督は前回の監督就任時に犯した失敗をまったく反省していなかったということだ。伊原監督はコーチとしては非常に有能だったわけだが、しかし監督として相応しい人物ではなかった。
大荒れの2013年オフを経たこともあり、伊原新監督率いる2014年のライオンズは開幕から大不振を極めてしまった。しかしこれは選手たちに能力がなかったのではなく、伊原監督を信頼する選手がいなかったことが何よりも大きな敗因だった。
2014年の開幕直後の時点で、すでに選手たちの心は伊原監督からは離れていた。それに加えて伊原監督が5月の秋田への遠征中に、暴風雨の中選手たちにジョギングを強制するという出来事が起こった。伊原監督は呑気にも「これで負のオーラを洗い流せる」とコメントしているが、この出来事が伊原監督と選手との間に決定的な亀裂を生んでしまった。
本来であれば伊原監督を招聘した鈴木球団本部長が伊原監督を制御すべきところを、鈴木球団本部長は何も対策を取ることをしなかった。そしてこのジョギング事件直後の6月3日、伊原監督は休養を球団に申し出ることになる。体裁的に休養という言葉が使われたが、実際には選手の反乱による事実上の更迭だったと言える。
鈴木球団本部長の前任者である前田康介氏に関しても、契約更改では選手との衝突があまりにも多く、フロントのトップとして選手からはほとんど信頼されていなかった。ではなぜ球団本部長としてこれほどまでに能力が低かったふたりが長年球団本部長を務めていたのか?編成トップであるこのふたりがなぜ敗戦の責任を負わされなかったのか?
その理由は簡単で、ふたりは球団本部長兼球団取締役だったからだ。取締役という役員だったことから、西武球団はこのふたりを、ライオンズを壊しているにも関わらず簡単には解任することができなかった。
この前任者ふたりが作り出したライオンズの暗黒時代も、渡辺久信シニアディレクターがGMに就任したことにより終焉を迎えた。渡辺久信GMは今、選手のために必死になって戦ってくれているし、選手に対し敬意のない言葉を浴びせることは決してしない。
これは渡辺久信GMが元選手だから選手の気持ちが分かる、ということも稀に言われるのだが、前田康介氏にしても鈴木葉留彦氏にしても、元プロ野球選手だ。
前田球団本部長にしても鈴木球団本部長にしても、西武球団が親会社の粉飾決済事件で揺れている中での職務となり、確かにできるだけ選手の年俸を抑えなければならないという経済事情はあった。だがその問題と、選手の心を逆撫ですることとは別問題だ。そのような経営的事情があるのであれば、それを選手が納得する形で丁寧に説明していくのが球団本部長の務めだ。
もし渡辺久信GMの就任がなく、仮に今なお鈴木球団本部長が編成トップにいたとしたら、近年ライオンズに残留していたFA資格者たちのほとんどがライオンズを去っていたことだろう。そしてそれによりチームの魅力はどんどん低下し、ファン離れも加速し、身売りという言葉もちらついていたかもしれない。
だがその最悪の流れを食い止めてくれたのが渡辺久信GMであり、監督時代からその人望の厚さに目をかけていた後藤高志オーナーの人を見る目だった。後藤オーナーは渡辺久信監督勇退時、渡辺監督に何らかの形で球団に残ってくれるように強く慰留している。その結果が監督退任後のシニアディレクターという役職だった。
前田康介氏は名スコアラーだったし、鈴木葉留彦氏は名スカウトマンだった。だがこのふたりは球団本部長職に就いたことでその名声をすべて失ってしまった。もはや彼らが名スコアラーであり、名スカウトマンだったことを覚えているライオンズファンはほとんどいないだろう。ライオンズファンの間で両氏の名前はもはや、ライオンズを壊した球団本部長として刻まれてしまっている。これは非常に残念なことだ。
前田康介スコアラーは尾張氏という生粋の名スコアラーの愛弟子であり、スコアラーとしては本当に有能な人材だった。ライオンズの黄金時代にしても、前田スコアラーの活躍がなければ違った結果になっていたかもしれない。鈴木葉留彦氏にしても大勢の名選手をスカウトしてライオンズ入りさせているし、コーチ時代にも多くの打者を育成してきた。だがこのふたりにとって不運だったのは、彼らにとってGM職(球団本部長)は畑違いだったということだ。
前田氏と鈴木氏はまさにサラリーマンのような球団本部長だった。上(オーナー企業)から言われることをそのままただ実行しているだけで、上の目だけを気にし、選手の感情など二の次だった。そのためライオンズの選手たちの心はどんどん西武球団から離れていってしまった。
一方渡辺久信GMは上からの指示はもちろん踏まえながらも、同時に選手という人材の大切さも必死にオーナー側に伝えてくれている。これはまさに孫子に書かれていることで、人(社員・選手)を大切にすることによって企業は強くなっていくという教えを地で行っているように見える。
前任者たちが選手を大切にしなかったのに対し、渡辺久信GMは選手を守ることに全力を尽くしてくれている。これを意気に感じない選手などいないはずだ。
辻発彦監督の6年間は、筆者は故根本陸夫監督が務めた4年間と同等だと思っている。根本監督はクラウンライター時代の1978年と、西武となった1979〜1981年までライオンズの監督を務めている。だが一部の選手たちから「根本監督では勝てない」という噂が立ち始め、それを耳にすると根本監督は即座に行動を起こして広岡達朗監督を連れて来た。
辻監督が根本監督のようだと言っても、もちろん松井稼頭央監督が名将広岡達朗監督になれるわけではない。だが渡辺久信SDが招聘した辻監督は、根本監督同様に強くなる直前のライオンズの礎を築いてくれた。根本監督が勝てなかったように、辻監督も日本シリーズに進出することはできなかったが、しかし辻監督は6年間かけて丁寧にじっくりと個を育て上げてくれた。
根本監督が作った礎を引き継ぎ、それを上手く利用してチームを日本一に導いた広岡達朗監督のように、松井稼頭央監督もきっと、辻監督が作った礎を上手く利用してライオンズを黄金時代に導いてくれるはずだ。松井監督は、辻監督にはなかった厳しさを持ち合わせているため、その統率力が辻監督が鍛えた個を和にしてくれるはずだ。
上述した前任者たちが成功させた監督人事は渡辺久信監督だけだと言っていいだろう。その前後に関しては伊東勤監督は西武球団を永久に去らなければならない問題(この問題に関しては報道されていないため、筆者も書くことを控える)を作ってしまったし、伊原監督は途中で指揮を投げ出し、後任の田邊徳雄監督は好々爺として多くの選手を育成していたが、監督タイプではなかった。
完全に空中分解状態にあったライオンズを立て直すために田邊監督の後任候補として上がったのが、渡辺久信SDが招聘した辻監督の名前と、渡辺久信監督の再登板だった。だがここで渡辺久信SDは自身が再登板するのではなく、自身はGMへの道を進み、辻監督を招聘したことは結果として大成功だった。壊れてしまっていたライオンズをしっかりと立て直すことができたからだ。
そして渡辺久信GMは辻監督に1軍を任せている間に、引退したばかりの松井稼頭央選手を将来の監督候補として4年間じっくりと時間をかけて育成することができた。松井監督は現役引退直後の3年間は2軍監督を務め、4年目は1軍ヘッドコーチとして辻監督を支えながら帝王学を学んだ。
根本監督は後任としてすでに監督としての高い能力を持っていた広岡達朗氏を招聘した。そして渡辺久信GMは松井稼頭央監督をじっくりと育成し、満を辞して1軍監督に就任させた。筆者は現在のこの流れが、かつて黄金時代を迎えた直前のライオンズの姿によく似ていると感じているのだ。
そしてその黄金時代をよく知リ、GMとして故根本陸夫を目指している渡辺久信GMも、かつての黄金時代をモデルにして現代に黄金時代を再来させようとしているのではないだろうか。渡辺久信GMは選手からも信頼され、時に大胆な招聘(例えば平石コーチの招聘)をも行う。これはまさに故根本陸夫の姿を見ているようだと筆者は感じている。
そして黒い霧事件以降の西鉄、太平洋クラブ、クラウンライターと続いた暗黒時代は、堤義明前オーナーが引き起こした粉飾決済事件以降の暗黒時代に準えることもできる。かつてその暗黒時代に故根本陸夫が終止符を打ったように、現代のライオンズの暗黒時代に渡辺久信GMが終止符を打つことに成功した。
となるとライオンズはいよいよ夜明けを迎えることになる。渡辺久信GMが躍動している限り、ライオンズの常勝時代の再来も間近に迫っていると言って間違いないだろう。そしてその常勝時代が再来し、球団経営も潤っていけば、選手にとってライオンズはさらに魅力溢れる球団へとなっていく。
そしてそのためにも渡辺久信GMには絶対にやって欲しくはないことがある。それは日本ハム球団の稲葉篤紀GMのように、功労者に対し限度額を大幅に超える減俸を提示することだ。今オフ、稲葉GMは功労者である宮西投手に対し、推定年俸2億5000万円から、2億円減の5000万円を提示した。黄金時代を築くためにはこれは絶対にやってはいけないことだ。
これをやってしまうと選手たちは「この球団にいたら、俺たちも活躍できなくなったら同じ目に遭う」と考えるようになってしまう。この稲葉GMのやり方は、近藤健介選手のFA移籍に対する気持ちをさらに加速させる原因となってしまうはずだ。もちろんこれはライオンズにとってはプラスであるのだが、ファイターズファンの気持ちを慮ると、見ていて切なくなるニュースだった。
確かに宮西投手は今季、年俸に見合う活躍はできなかった。だがだからと言ってNPB記録のホールド数を保持している大功労者に対して、この仕打ちはあまりにも酷すぎる。ジャイアンツ時代の杉内俊哉投手のように自ら減俸を申し出るのならまだしも、稲葉GMからこの提示をしてしまったことにより、選手たちの心は稲葉GMからかなり離れてしまったと言って過言はないだろう。
渡辺久信GMには、絶対に稲葉GMと同じミスを犯して欲しくはない。功労者には功労者らしい引き際を提供してあげることにより、選手たちは「この球団でいつかユニフォームを脱ぎたい」と思ってくれるようになる。まさに生涯ライオンズ宣言をしている栗山巧選手、中村剛也選手、外崎修汰選手らのように。そしてこのようなチーム愛がライオンズを強くし、新たな黄金時代を作り上げていくことになる。
2020年代、ライオンズは間違いなく常勝時代へと突入していくだろう。しかしこれはファンとしての希望的観測ではなく、渡辺久信GMのチーム作りを論理的に考えて導き出した答えだ。恐らくは、ライオンズファンではない分析家であっても筆者と似た考えを持つ存在は多いはずだ。2010年代はホークスが栄華を極めたが、2020年代は再びライオンズの時代がやってくると筆者はここに断言し、本記事を締めくくりたいと思う。