2024年10月24日公開
渡辺久信GMが退団となったことで、来年以降のライオンズではGM職はひとまず凍結される運びとなった。と言ってももちろん今まで渡辺GMが行っていた業務が宙に浮くということではなく、渡辺GM以前の頃のように、球団本部長がGM職を務めることになる。
今年までは鉄道マンだった飯田光男氏が球団本部長を勤めていたわけだが、飯田氏の肩書きは「常務取締役球団本部長兼編成統括」という役職から、「常務取締役」に変わる。そして代わって2025年1月1日付で球団本部長となるのが広池浩司現副本部長兼編成統括だ。
近年の広池氏は副本部長として、渡辺久信GMの右腕として活躍していた。その広池氏が渡辺GMの後任という形になり、体制が大幅に変わるというわけではないため、フロント業務がわずかでも混乱に陥るということはないだろう。だが逆の言い方をすれば、体制が大幅に変わっていないためライオンズが大きく変わることもない、という可能性も否めない。
実際球団内のフロント人事に大幅な変更がないことを指摘している紙面もあるが、しかし筆者はそれがライオンズが変わらないということにはならないと考えている。そもそも変わらなければならないのは選手と親会社だ。渡辺GMが牽引してきたフロントは、渡辺GMのおかげで選手との軋轢が生まれることがまったくなくなった。つまり球団内のフロントはひと昔前と比べると着実に変わってきているのだ。
渡辺久信GM以前の球団本部長は前田康介氏、鈴木葉留彦氏となるわけだが、この二人はとにかく契約更改中の失言で選手の心を逆撫ですることが多かった。そしてFA取得選手との交渉時も、「出ていきたいなら出て行ってください」というスタンスで、スター選手たちをまともに慰留することもなかった。
つまり渡辺GM以前の西武球団というのは、FA取得選手を頑張って慰留したけど上手くいっていなかったわけではなく、根本的に慰留していなかったのだ。そのため特に2000年台に入ってからはほとんど毎年のようにスター選手が他球団へと移籍していった。この流れを止めたのが渡辺久信GMであり、この渡辺GMのスタイルを踏襲した新球団本部長が広池浩司氏ということになる。
埼玉県出身の広池氏のライオンズ歴はもう長くなるが、実はライオンズでユニフォームを着てプレーしたことはない。2010年に広島カープを戦力外となると、一年空けて2011年11月に打撃投手としてライオンズ入りした。その後は副寮長、ファームディレクター、チーム戦略ディレクター、球団本部長補佐、一軍ディレクターなどを務めながら今に至る。
大卒で社会人を経てプロ入りしているという意味では広池氏と前田康介氏の略歴は似ているわけだが、しかし社会人野球でプロを目指してプレーしていた前田氏に対し、広池氏は大卒後は一度野球は辞め、純粋に全日空でサラリーマンを経験している。だが羽田空港でカウンター業務に就いていた際、すでにライオンズのスター選手となっていた高木大成選手らに声をかけられ、野球への思いが再燃していく。
なお広池氏は全日空の入社式で、新入社員総代としてスピーチをするほど期待されていた全日空のエース新入社員だった。だが1997年その当時に入団テストを実施していた広島カープのテストを受けて一次試験、二次試験をクリアし、秋季キャンプで行われる秋季キャンプに参加することにもなった。
そして広池氏はそこで、秋季キャンプに参加するために全日空を退職するという覚悟を見せている。その結果最終試験には合格したのだが、残念ながら1997年の新入団枠はすべて埋まってしまっており、ドラフト指名は一年間待たなければならなかった。すると自費でドミニカのカープアカデミーに8ヵ月間参加し、1998年のドラフト8位でようやくカープ入りを果たしたという異色の野球人が広池浩司氏だ。
広池氏のスカウトを務めた広島カープの名スカウトマン備前喜夫氏の話によれば、やはり広池氏のご両親は全日空を辞めてまでカープ入りすることには最後まで反対しており、カープの入団会見でも広池氏のお母様だけが新人選手のご家族の中では唯一浮かない表情をされていたと言う。
だがドミニカや広島を経た長い道のりではあったが、広池氏は最後には地元である埼玉に戻ることができ、しかも来年からは西武球団の球団本部長となることが決まっている。選手としては決して一流とは呼べない広池投手ではあったが、しかし選手としてやれることをやったのちは全日空の新入社員総代だった事実を証明するかのように、西武球団内でどんどん出世していった。その姿を見れば、きっと広池氏のご両親も今となっては全日空を辞めたこともまた正解だったと思ってくれているのではないだろうか。
ちなみに現在慶應大学でピッチャーを務めている広池浩成投手は広池新球団本部長の息子さんだ。この息子さん、浩成投手が慶應高校時代に残した言葉が、広池浩司氏の人柄を伺わせる。地区予選を控えていた浩成投手は、「お父さんとお母さんのために投げる」と話しており、広池氏の奥様もこの父子を「本当に信頼し合っている仲」と話している。
プロ野球選手であった広池氏は、息子さんには野球の技術云々よりも、野球の楽しさを教えていたと言う。そして今広池浩成投手は、清原和博氏の長男である清原正吾選手の2学年下の選手として、共に慶應大学で活躍している。明日のドラフトで清原正吾選手、そして2年後のドラフトで広池浩成投手が共にライオンズ入りすることになれば、非常にロマンのある将来を夢見ることもできるのではないだろうか。
とにかく2000年代に入ってから西武球団で球団本部長を名乗った二名は、選手からの評判がすこぶる悪かった。それによりフロントと選手との間に深い溝が生じてしまったわけだが、その溝を渡辺久信GMが修復し、その後任を務めるのが広池浩司新球団本部長となる。
選手としてはライオンズとは縁のなかった選手ではあるが、全日空時代にはライオンズの高木大成選手らに声をかけられ野球熱を再燃させたり、カープ入りしたのちに熱心に指導してくれたのは今年5月5日に亡くなられた清川栄治投手コーチだった。2011年から打撃投手としてライオンズ入りしていた広池氏も、2014年に清川氏がライオンズの投手コーチになられた際はその再会を心底喜んだのではないだろうか。
そして筆者は思うのである。近い将来高木大成氏がライオンズの球団社長となり、広池浩司球団本部長と共にライオンズを新たな常勝時代へと導いてくれるのではないかと。物腰が柔らかく人当たりも良く、会話での言葉の選び方も抜群な広池氏が契約更改で選手との間に摩擦を生み出すことはまずないだろう。ライオンズは1972年生まれの西口文也監督が率い、球団本部長は1973年生まれの広池氏、そして近い将来期待されるやはり73年生まれの高木大成球団社長という体制が誕生すれば、確かなライオンズ愛を持ったこの三人が必ずライオンズを再び強くしてくれるはずだ。そんな将来を夢見ながら、筆者は広池浩司新球団本部長の仕事振りに大いに期待していきたいと思っているのである。