2024年5月20日公開
源田壮亮主将はキャプテンとしてよく頑張ってくれている。このことに異論を挟む余地はないと思う。だが勝てていないチームのキャプテンとして必要とされている言動に関しては、黄金時代のチームリーダーであった石毛宏典選手よりも劣ることは確かだ。
ちなみに黄金時代にはキャプテン制度というものは確かなく、石毛選手がその人柄や実力によって自然とチームリーダーになって行った。では源田主将と石毛選手とではリーダーとして、一体何が異なるのだろうか?
まず守備力に関しては圧倒的に源田選手の方が上だろう。石毛選手も膝を怪我するまではずっとショートを守っていたわけだが、石毛選手がまだ駆け出しの頃の監督であった広岡達朗監督は当時、石毛選手の守備力を低く評価していた。新人王に関しても打力のみで獲得したとまで言って石毛選手を挑発した。
当時の広岡監督の考えとしては、新人王を獲っても天狗になることなく、セ・リーグの原辰徳選手を実力でも人気でも上回れるようにとハッパをかけたのだと言う。そして石毛選手はその挑発にうまく乗り、球界を代表する名手へと成長して行った。だがグラブ捌きや守備範囲などに関しては、それでも源田主将の方が圧倒的に上だと言える。
一方バッティングに関しては逆に石毛選手の方が圧倒的に上だった。ホームランも30本弱打ったシーズンが非常に多く、キャリアハイの打率も.329という高さだ。しかし源田主将のキャリアハイは.278で、最近2年に関しては.250〜.260台と低迷している。
一選手としての総合的な能力を見ると、やはり石毛選手の方が圧倒的に上だと言わざるを得ないだろう。そしてリーダーシップという意味でもやはり、石毛選手の方がキャプテンシーの高い選手だった。
石毛選手は当時、パ・リーグでは史上初の1億円プレイヤーの野手となった。だが時代が違うとは言え、今年源田主将は年俸3億円を得ている。この年俸にはプレー面だけではなく、キャプテンとしての働きも加味されているわけだが、そのキャプテンシーがどうも源田選手は弱いように見えるのだ。
弱いと言うと語弊があるかもしれない。優しすぎると言った方が正しいだろう。石毛選手はチームリーダーとして、グラウンドでチームメイトが気の抜けたプレーをしていると試合中でも一喝することがあった。だが源田主将にはチームメイトを一喝できるような厳しさはないように思える。
ここで関係してくるのが打撃成績だ。石毛選手の場合、守備ではゴールデングラブ賞をパ・リーグ最多の10回獲得しているし、打撃でも誰も文句が言えないような好成績を残し続けていた。だが貧打に苦しむ現在のライオンズの場合、やはり安定してヒットを打てていない源田主将が他の選手に喝を入れるなどなかなかできることではない。それこそ「源田さんだって打ってないじゃないですか」と反発されかねないからだ。
野球というスポーツは優しい人ほど好成績を残すことが難しいと言われている。性格が優しいと投手であれば内角を攻められなくなるし、打者であれば強烈なピッチャー返しを打てなくなってしまう。どちらにしても「相手を怪我させたくない」という心理が働いてしまうからだ。
源田主将は一度優しさを捨てるべきだ。どうしようもない三振をしてガッカリしている選手がいたら、「ベンチが陰気くさくなるからもっとシャキッとしろよ!」くらいのことを言ってもらいたい。今季筆者は全試合の中継を見ているのだが、三振や凡打をしてがっくりとし、今にも泣き出してしまいそうな表情を見せている選手が1人や2人ではないのだ。
打てなかったたびにガッカリしているようではプロ野球選手など務まるはずもない。浪花節が通用するのはアマチュア野球までで、プロは結果を出してこそプロだと言える。そこでもし結果を出せないのであればそれが実力であり、二軍に戻って特訓に明け暮れるしかない。
もし今のライオンズで全盛期の石毛選手がサードを守っていたならば、恐らくは試合中ずっと他の選手に喝を入れ続けなければならないだろう。それくらい今は、ライオンズの選手たちのがっくりした情けない表情が毎日中継画面に映し出されているのだ。
キャプテンである源田主将の役割はガッカリしているチームメイトを慰めることではない。そんなことは家に帰ってから家族にでもしてもらうべきだ。源田主将の役割はチームの箍が緩まないようにグラウンド上の選手たちに気合を注入することだ。決して落ち込んでいる選手を優しく慰めることではない。
グラウンド上で優しく慰めても良いのは、因縁の巨人相手の日本シリーズで日本一まであと一死と迫った場面、一人の選手が一塁を守りながら感極まって泣き出してしまった時だけだ。そんな時だけは肩をポンポンと叩いて慰めてあげて欲しい。だが今のライオンズの選手たちはそうではなく、ただ実力が足りないだけなのだから、源田主将もそんな選手たちを慰めているようではキャプテンとしては失格だ。
では石毛選手以降でライオンズのキャプテンを務めた選手たちはどうだったろうか?赤田将吾選手、栗山巧選手、中島裕之選手、浅村栄斗選手らがキャプテンを務めてきたわけだが、まず赤田選手は小野寺力投手と共にとにかく優しい人柄だった。筆者もユニフォームを着ていない場面で何度かお話をさせていただいたことがあるのだが、本当に良い人を絵に描いたような人格者だった。そのため赤田選手であってもやはりチームメイトに喝を入れることは難しいだろう。
そして中島選手と浅村選手に関しては我が道を行くタイプであるため、根本的にキャプテンタイプではない。口数も少なく、言葉でチームにハッパをかけることがなかなかできず、プレーで引っ張っていくタイプだった。そして栗山選手ももちろん口数は多くはないわけだが、しかし重要な場面でチームメイトに対し厳しいことを言える芯の強さを持っている。
栗山選手は自分にはもちろんのこと、相手にも厳しく接することができるため、そういう意味では状態の悪いチームの雰囲気を変える力は持っていると思われる。ただし栗山選手は外野手であったため、試合中はなかなか内野の輪に加わることができなかった。そのため当時筆者は、栗山選手は一塁にコンバートすれば良いのになとよく考えていたものだ。
キャプテンと言えばチームの顔でもある。そのような大きな存在の選手が、プロの世界で活躍できなかった選手を慰めているようでは、ライオンズが強くなることは今後もないだろう。ライオンズがこれから蘇っていくためには、源田主将がガッカリした表情を見せているチームメイトを一喝していくようにならなければ、今のライオンズが今季中に変わることはないはずだ。
喝を入れることによってチームメイトに疎まれても良いではないか。そもそもそんなことでキャプテンを疎んじるような選手は一流になどなれはしない。そして源田主将としては、仮にチームメイトから疎まれたとしても、その結果チームが勝つことができるのならばそれで万々歳ではないか。
ライオンズの応援歌には「強き者こそ優しくなれる」という歌詞がある。これは裏返せば弱いチームで優しく和気藹々とやっているのは馴れ合いでしかなく、ただ軟弱なだけだと言える。優しさとはチームが勝ってこそ成り立つものであり、チームが勝っていないのに優しさばかりを見せているようでは、それはただの甘えでしかない。
今、年齢的に全盛期を迎えようとしている選手たちがライオンズではほとんどまともに打つことができていない。それは単純に相手投手よりも野球が上手くないだけの話であり、そうであるならば、寝る時間を惜しんでも特訓を重ねるべきだ。そして若き日の清原和博選手のように、バットを大切に抱いて寝たって良いだろう。
とにかく今のライオンズに必要なのは厳しさだ。それは選手にも首脳陣にも同じことが言える。良い人でいるだけで勝てるほどプロ野球の世界は甘くはないし、その厳しさを伝えていかなければならないのが源田主将であるはずだ。だが中継では源田主将が良いプレーができなかった選手の背中をポンポンと優しく叩いて慰めている姿がよく映し出されている。しかし今のライオンズに必要なのはそれではないのだ。
キャプテンはチームの顔であると上述したわけだが、その顔である源田主将が他の選手に対し積極的に厳しさを見せていければ、ライオンズは一瞬で変われるはずだ。そして誰かに厳しく言ったならば、源田主将自身もそれなりに自分に対する厳しさを周囲に見せていかなければならない。つまり源田主将一人が厳しさを見せるだけで、それぞれに相乗効果が生まれるということなのだ。
だが今は源田主将が率先して優しさを見せてしまっているため、チームもどんどん軟弱になっていっている。この弱いライオンズを立て直すためには、源田主将がかつての石毛宏典選手のような厳しさをどんどん見せていかなければならない。ミスをした選手の背中を優しくポンポンと叩いて慰めるのではなく、ミスをした選手の背中をバシッと叩いて気合いを入れ直させ、「同じミスを繰り返すなよ!」くらいのことを言っていかなければダメだ。そしてそれこそが3億円プレイヤーの務めであるとも筆者には思える。
もし源田主将にそのようなことができれば、ライオンズはあっという間に息を吹き返していくだろう。しかし現状ではどうやら難しそうだ。そのため筆者は源田主将は現状においてはキャプテン失格であると言いたいのである。だがそこで終わってしまうのではなく、同時に筆者は源田主将にはこれからはライオンズを蘇らせる厳しさを兼揃えたキャプテンシーを発揮してもらいたいと大きな期待を寄せてもいる。